親介護は突然やってくることもあり、親のストック(資産)とフロー(年金)をぜひ知っておきたいです。
それで、なんとなくは知っていた父親の年金額を、兄弟もいたこの正月休みに聞いてみました。
戦中生まれの父親
80歳を超える父親から聞くかぎり、戦後はみんな貧しく、イモばかり食べていたそうです。
地元の工業高校をでて、18歳から定年までひとつの企業を勤めあげました。
いわゆる昭和のサラリーマン、
- 右肩上がりの時代といっても
- 多くの会社員がそうだったといっても
いろんなことを押し殺して働きつづけたでしょう。
それでも、勤務先の愚痴を聞くことはなかったですねえ。
第2次ベビーブーマーの私
オイルショックころに生まれた私は、一億総中流時代、25歳まで親のスネをかじって大学を卒業しました。
それから、研修医、レジデント、当時は日給月給の非正規職員期間が長く、30歳前にようやく地域救急病院の正職員採用だったです。
といっても、すぐに大学院へ入学してバイト生活、研究機関でまたまた非正規職員、
40歳前に久々の正職員脳神経外科医師採用となりました。
その後10年はある程度挽回しましたが、ねんきん特別便で見るかぎり、どうやら厚生年金は少なそう、
まあ、どの業界の誰もがそう感じるらしいですが。
父親の年金額を聞くと
そしてこの年始、親介護のキホンどおりに父親の年金額を聞いてみると、やっぱり自分よりも多かったです。
父親は、収入減なく長期間の正職員をつづけてきました。
年金の多い父親が今後の選択肢も多くてうれしいばかりですが、学費をだしてもらった身としてはなんとも恥ずかしい結果でしたね。