みんな生きているだけで、世の中の役に立っているはず

記事内に商品プロモーションを含む場合があります
日本の医療介護費、日本国の負債などの視点からなのか、寝たきりや胃ろうに対して否定的な意見をよく見かけます。
身近に経験していない人が多いのかもしれません。
意識レベルや反応は違っても、みんなしっかり生きて暮らしています。
それに、働くから食べられるではなく、食べる人がいるから仕事がある、という考え方だってできるのではないでしょうか。
Contents
スポンサーリンク
生産性の呪縛

おかねを稼げるか稼げないかにこだわる人は、
- 働かざる者喰うべからず

のイメージのまま、

- キツイ労働をしてこそ一人前、迷惑をかけてはいけない

という固定観念がありそうです。

その結果、“おかねを稼ぐ” 生産性を他人と比較し
- もっともっと

自分自身、どんどんシンドくなってしまい、

いつのまにか
- あのひとたちには食べる資格がない
と他人を責めてしまうのでしょう。
みんな消費しているから

そうではなく、おかねを使う立場から、おたがいの存在を肯定的にとらえましょう。

生きていれば、だれでも、
- なにかを食べ
- どこかに住み
- 公共や企業のサービスを受け

ながら暮らし、つねに個人消費を生じつづけます。

逆に言うと、みんな生きているだけで、他人の仕事を発生させつづけているのです。

たとえどんな質素な食事であっても、量販店の衣服であっても、

材料・加工・配送などさまざまなひとたちの仕事が積み重ねった結晶のはず。

自分たちの大したことない消費であっても、他人の仕事を創りだし、そして支払いを発生させている現実に気づきます。

国内総生産のほとんどは個人消費、つまり日本だけでなく世界中におかねが駆けまわる小さな一役、

言い換えると、世界経済の成長を、みんなそれぞれが担っているのです。

病気があっても、年をとっても、みんな
- ただ生きてるだけでだれか知らないひとの役に立ち、だれからも尊重され大切にされていい

倫理的にも金融学的にも、そんな気がしますね。
【関連記事リンク】




